たまゆらたのしいにちようび

 今日は完全休日で、朝9時半に起きた。午後までは暇だったのでたまゆらのBDを垂れ流しながら溜め込んだ家事を片付けていた。

 たまゆらは放送年の冬、それもクリスマスに友人の男連中数人で京急汐入へ聖地巡礼に行くなど、結構好きな作品として捉えていたつもりなのだが、振り返ると内容を全く思い出せないし、むしろ途中から観ていなかったような気もする。どうしてそうなったのか自分でもよくわからなかったが、今日BDを観ていたとき、きっと画質が悪すぎたせいかもしれないと感じたし、実際そうだったと思う。図らずもカメラがアイコンみたいなアニメなので、余計に写真を撮りに行きたくなった。お手頃価格の、ニッコールの明るい単焦点が欲しかったのを今更思い出してしまいこれは大変な目の毒アニメだなと参ってしまった。

 

 

 一旦たまゆらを中断して諸用を済ませるべく吉祥寺に向かう。吉祥寺の駅舎は外装がまた変わっていて、何か足りないなと少し考えてみたが仮駅舎が完全に取り除かれているのだとすぐに気づいた。もしかしたら撤去はずっと昔に済んでいたかもしれないが、いつも交番側の出入り口しか使わないので正面から見る機会は少ないし気づかなくて当然だ。

 

 

 目的の場所は、駅から北へ歩いて30分弱のところにある。この季節になれば昼間の気温は高い。太陽が照りつけてきて、そういえば毎年夏が終わるまで駅と学校の往復がひどく億劫になっていたのを思い出した。施設への道すがら母校の欅並木下を歩くのだが、連なる大きな欅は太陽を遮ってくれて数百メートルほど日陰の道が出来ており、そこだけとても涼しく緩やかな風が吹いていて、木の葉の音が耳に心地よかった。入学から卒業するまで終ぞ意識が及ばなかったが、今日になって初めてこの並木道の有り難みを感じた気がした。

 

 目的が果たせたので直帰して、またたまゆらを再開している。舞台の広島に行きたくって仕方がない。高校の修学旅行で一度行ったきりなのだが、その頃身辺であった辛い出来事を引きずったまま旅した、ちょっと切ない思い出が詰まった街でもある。もし今度行ってみたら当時を思い出すのかな、でも今ならただ懐かしいなと思うだけのような気がする。それは少しだけ寂しいことでもある。今夜はこのままたまゆらを観ながら眠ろう。