狐の嫁入り
昼休みの終わり頃、いつも通り日向ぼっこのために外に出る。東の空は快晴なのに、西の空は真っ黒な雲でいっぱいだった。
Twitterを開くと、西のほうはすでに雷雨に見舞われているツイートがちらほら。そういえば今日の天気予報は午後から雨マークが付いていたことを思い出す。頭上はちょうど空と雨雲の境目で、珍しい景色だったので少し興奮した。
雷雨に見舞われている人たちを高みから見下ろす気分で日向ぼっこしていたが、仕事に戻って少し経ったころにはこっちにもすごい嵐がきた。施設からガラスの壁ごしに見えるステージでは、これから始まる韓流スターのライブの準備が進んでいたのだが、突風と雨が一気に来たから何もかもめちゃくちゃだ。とりあえず観客は建物に避難、にわかに賑々しくなる館内と、通り過ぎるお客も外を眺めつつ、どこか浮かれた顔。こんなふうに突然起こる一体感は好きだ。強風強雨のステージでは、斜めになりつつ必死にスピーカーへビニールを被せたり、倒壊しそうなテントを畳んだり、CDの入った山積みのダンボールが濡れぬように、急いで台車に積むスタッフたち。あらまー大変大変と、僕は二階のブリッジから見物(実際に高みから見下ろす)。
急な雷雨は、たいていすぐに去るものだ。十分も経たぬうちに雨雲はすっかり消えて、元通りの晴天。でも雨はまだ降っている。狐の嫁入りだ。
天窓から差し込む光は、ガラスに打ち付ける雨粒の模様を僕の立っている床に映していて、水族館にいるようで綺麗だった。しばらく見上げて眺めていると、通りかかった人たちも床の模様に気づいて天窓を見上げていた。
もしかしたら外には虹が出てるかもしれないけど、こっちの景色が好きだなと思った。
縫えない
裁縫は昔からめっちゃクソ苦手で、ボタン付けも満足に出来ない。玉止めが上手くできなくて半泣きになったのは小学生の頃だったかな。食器洗い用のスポンジを作らされた家庭科の授業では、完成まで3ヶ月くらいかかった気がするし、もしかしたら未完で投げ出したかもしれない。
今日深い深い事情で服の丈を詰めたりウエストにゴムを仕込んだりという作業が必要になって、これはどうしたものかと悩んでいたら、2分後くらいに同期(♂)から救いの手が差し伸べられたおかげで即日ミッション・コンプリート。帰宅ついでに立ち寄ったマクドナルドの一席、目の前で作業する同期をただ眺めているうちサイズ合わせが終わってしまったので、本当に助かった。持つべきものは裁縫のできる友人だなと本当に思う。
しかしボタン付けが必要な状況になったことないけど、さすがにボタンくらいはつけられないとまずいのかな。周りにボタン付け出来る男がどれだけいるのか・・・知らないだけでもしかして意外と皆できるのだろうか。それは困る。皆できないで欲しい。いやそれじゃ俺が困るのか。
全然関係ないのだけど、そのマックでとある高校生カップルが一人用の席に並んで座っているのを見かけてすごくいい構図だなと、あらためて思った。やっぱりそういう人と話すときは、向かい合わせでなく隣り合わせが心地良いよな。対面でジーーーーーッとお互いを見つめ合うカップルなど、あの感覚はあんまりよくわからない。
スッ・・・
最後の更新は83日前だってさ!!
その間僕は何してたろう?
Twitterやめたり、富士急ハイランドで絶叫マシーンを見ただけでトラウマが発動したり、iPhoneが5Sになったり、後輩のバイクにタンデムして深夜の東京ツアーしてたり、わんわんランドでプードルまみれになったり、アニメから遠ざかったり、フルハウス全話観たり、小さな芝居を作ったり、またアニメ観始めたり、職場を異動しそうになったり、まどかの新作観たりしてた。思いつくのでこのくらい、よく掘り下げればもっと色々。
しかし最後に更新した記事はヒドかったなと、今見ても思う。題通り本当にやる気が底を突いて、完全にダレた時期だった。ちなみに部屋に出たゴキブリらしきものはやっぱりゴキブリだった。
やる気が底を突いた原因ははっきり自覚していて、それはあちこちで自信が削れていく出来事が続いたからだった。
そこで脱出を試み、いつもと違うことをやってみたのだが、これらは概ねアタリだった。茨城で臭い犬たちと触れ合ったら生きる力が湧いてきたし、アニメを観る時間をフルハウスとかいう神ドラマに費やしてみたらよく笑ったしストレスも発散出来た。そして意外にもお芝居の勉強になったと、自分では思っている。
本当は今でも「漲るーーーーーーー!!!」みたいな状態に届いたのではないけれど、当時よりはずいぶんマシだ。特に小さな芝居は、大きな刺激になった。ずっとわからなかった感覚をそこで初めて掴んだ瞬間あぁ、コレがその・・・と、ストンと腑に落ちた感覚が強く残っているのは、新しい価値観を探り当てた証だ。
そうやって数ヶ月ののち、最近2、3方面からブログの再開を促されたのもあって、今またなんとなく新しい記事を書いている。
ひとつ後悔したのは、やる気がなくてもブログは続ければよかったな、ということくらい。日々の波をちゃんと書き留めておけば、あれからゆっくり回復していく過程が見えただろうし、それがまた同じパターンに陥ったときのヒントになるかもしれなかったからだ。
そもそもこの場は自分のための日記でもあるし、何事も継続は力なりって感じなんだろ、たぶん。
再開一稿はこんなところ。またこまめに手をつけていこうと思いました◎
やる気が出ない
■
夜中に実家の犬の写真とか見てたらなんか会いたくなってしまって悲しい。
とかいうと犬もう死んでるみたいに読めるけど全然元気だ。
黄金時間
夕方は凄まじい嵐で、あと少し帰るのが遅れていたら干していた洗濯物が全滅するところだったので助かった。家について10分ほどしてから、急激に雷が近くなったのが、光と音の間隔でわかった。
雷は今まで何度も聞いてきたけれど、今日ほどのものは初めてだった。ひっきりなしに光と音が炸裂していて、昔大好きだったゲーム、スーパーマリオワールドのクッパ城の演出にそっくりだった。雷を怖いと思ったことは無いが、もしかしたら落ちるかも、と少し不安になって家電のコンセントを抜き、電気を消してベッドに横たわりながらYouTubeで検索した恐怖映像を眺めていた。それでも雨の音がものすごいのが気になって、少し窓を開けて隣家の屋根に激しく当たる雨粒をしばらく眺めていた。豪雨は街が洗い流されて行く感じを覚えるのが大好きで、きっと長靴や雨合羽を持っていたら外に出ていたかもしれなかった。結局雷は3、4回ほどどこかに落ちた音がしたが僕の家には特に異常はなかったので安心した。
雨が止むとつかの間ゴールデン・アワーがやってきたので、外に出て商店街の方へ歩いた。さっきまでめまいがするほどの暑さだったのに、雨が過ぎたあとははっきりと冷えたのがわかって驚いた。湿度は高かったが汗もほとんどかかず、空気が綺麗になっているようで気持ちよかった。一昨日地面に落ちて死んでいて、車に潰されてしまった何かのひな鳥の跡は、豪雨ですっかり洗い流されていた。
歩いている途中しきりに南の空が光っていて、上を向いて歩きながら雲の間を稲妻が走って行くのを眺めていた。こういう光景は多分初めて目にするものだった。雷鳴はずっと遠くなって、ほとんど聞こえなくなっていた。帰り道、19時を回って空が真っ暗になっても、時折閃光が走って雲の形がくっきり浮かぶほど明るくなる瞬間があった。雷は綺麗だなと、ただそれだけ思った。
いつもの火曜
別にどうということのないいつも通りの一日だったが、とにかく身体が疲れた。
最近豊洲に行くと、終業後に映画を観られたらとても幸せだろうなと毎度思う。仕事が終わればゆっくりしても十分後には入場できるし、すごく広くてゆったりしたシートのある劇場なので、落ち着いて観ていられるからなお良いのだ。あの花の映画が上映予定リストに入っていたので、公開したら二度くらいは行こうと思っている。会員だし、毎週金曜日なら¥1000なんだけど、あいにく金曜日に豊洲に行くスケジュールが組めないので、それだけが本当に残念だ。
帰宅してからさっきまでおおかみこどもの雨と雪を観ていた。
この作品は上映当時タイミングを逃して観られずに終わったもので、最近まですっかり存在自体忘れていたのだが、昨日の夜ふと思い立ってレンタルしてみたのだ。しかし後半まで来て疲れから凄まじい眠気にやられてしまったので、残りは明日観ようかなと思って、さっき中断した。しかしとても好きな映画であると今から確信しているので、続きが楽しみである。