散り散り

母から遠くの街に引っ越すことになりそうだという報告を受けた。本当は東京に来るかもしれなかったのだが、和歌山に住む数十年来の母の友人が、北海道を出て自分と一緒に暮らさないかと招いてくれたのだという。僕はその人が好きだし、僕の家族はもうその形を維持するのが不可能だと、とっくの昔に知っていたから、ようやく現状を脱する足場が固まったのだと、むしろこの縁を歓迎したい気持ちである。

 

13年前、北海道で暮らし始めてから、僕は一日も欠かさず、ずっと関東に帰ろうと思い続けた。機会は大学受験しかなかった。その後10年越しで夢を叶えて、躊躇いもなく親を置いて一抜けた僕と、一人暮らしをするという形で家族から間もなく二抜けた僕の姉。後に残って寂しい思いをしながら三抜けを待った僕の母に、ついに当たりがきたようだ。

 

 僕の家族は、数年かけてゆっくりと散っている。

 

 僕より早く上京を考えていたはずの姉は、気がつけば真逆の道を辿っていて、結局北海道に残るつもりのようだ。きっとそのまま骨を埋めるだろう、という予感もしている。僕にとっては第二のふるさとであるから、姉はずっとそこにいてくれれば具合が良い。帰る場所としてあってほしい。

 

 母もまさか、故郷の関東を飛び超えて行くなどとは思いもしなかったろう。母は東京で生まれ、千葉に移り、北海道に移り、今度和歌山に移ればこれで四つ目の住処である。年齢の事を考えればそろそろ一カ所に落ち着くべきなのだけれど、きっと死ぬまでそんな風にあちこちを転々とする人種なのだと思う。

 

 僕が生まれて四半世紀が過ぎて、ついに一家は完全に離散することになる。もとより本当の家族はずっと昔に揃わなくなっていたので、僕はいまさらそういう状態を特に寂しいとは思わない。両親とご飯を食べに出かけるとか、TVを見ながらくだらない話をするとか、本当になんでもない、「家族」が作る当たり前のような風景を、僕は大昔に失ってしまったし、これから先ももう見ることは無い。

 

 北に帰る場所はあるし、この街は生まれ故郷の千葉にも近いし、西に向かえば母の家に泊まって四国へ旅行しやすくなるのだ。むしろこれは大変便利なものじゃないかと、そんなことを考えながら全く知らない和歌山という街をGoogleマップで眺めている。