お休みの月曜

今日は本当に久しぶりに完全休日だったから、少し早起きをして、今まで溜め込んだ細かい用事をまとめて全部片付けた。今最高に気分良し。ここ二週間ほどは休みの日が少なくて、だからつい、誰かと遊ぶ予定が出来ればそっちを優先してしまったので、全く私用に充てる時間が取れなかったのだ。僕はそういうことがある度に、どこかで見かけた「忙しいと言っているやつはだいたい時間の管理が下手なだけ」という言葉を思い出して胸が痛む。今日も本当は部屋の配置換えまでしたいと思っていたのだけれど、用事が全部片付いた快感でうっかり昼寝してしまい、目が覚めたら陽が沈んでいたから、たぶん僕は本当に時間の管理が下手なのだろう。

 

昨日は新宿でアニメ好きの人たちとの集会があって、たくさんアニメの話をしてきた。もうこの集まりに参加し始めて一年以上経つのだが、来る人たちは皆話が面白くて、聞いているだけでも楽しめる。年齢層が少し上がるせいか皆僕が知らない作品も良く知っていて蓄積があるなぁといつも思うし、僕の同世代の友人とアニメの見方が少し変わっていたりもする。僕は自分の価値観がこっちの人たちと似ているのだな、というのに最近気づいたので、心地良くアニメの話ができるこの場をとても気に入っている。ちなみに僕の後輩のfmt君も最近参加し始めていて、普通に溶け込んでくれたようで安心した。

 

ただし僕の価値観が似ていると言っても会の皆様の名誉にかけて言えば、残念ながらというかやっぱり僕のアニメ見るセンスはしばしば思い切りズレる。

僕はこの点同世代の友人にも良く叩かれているけれど、自分のセンスには自信があるから個性だと思っているし、堂々と振る舞うことにしているので気にしていない。嘘だ。やっぱり叩かれると落ち込む。しかし否定されて馬鹿にされるのは腹が立つこともあるが、堂々と反論する様が昔の文学青年たちの談義を彷彿とさせるので少し楽しい。趣味の話は「人それぞれだから」で済ませてしまうと多分つまらないのだろう。胸張ってハヤティストを名乗ろう。

 

そういえばアニメに限らず芸術はみな受け手の見方で評価が変わるけれど、最近風立ちぬの評判を方々で見聞きして改めて「人の価値観」というのを感じた。

 

僕は初め自分の感覚だけであの作品を大好きだと思ったのだが、そのあと肯定否定色々な意見を見聞きしてもう一度自分の感性を確かめたくなり、それを踏まえて先日改めて風立ちぬを観た。結果二度目にしてさらに自分の想いが強くなって、この映画をもっと好きだと言えるようになったのだ。

 

否定的な意見も飲み込んで作品と向き合うのは本当に大事なのだと、それはごく基本的なことなのだけれどひしひしと感じる。否定は肯定を強く引き立たせる。逆もまたしかり。風立ちぬは僕の中で考えることの大切さを教えてくれた映画であって、影響力という話でいえば僕の中で一番強力なジブリ作品になってしまったのかもしれないなと、映画館からの帰り道、そんなことを考えていた。