277日後

ふと思い立って自分のブログを見返したら、最後の記事からこんなに日が経っていて驚いた。でもむしろ、とっくに1年以上経っていると思っていたから、それにもまた驚く。
 
277日前の僕はどんなだったんだろうか、記事を読み返してもいまいちピンとこないのは、やっぱりそこに大した中身が詰まってないからだろうか。元々テーマを立てて書いているわけでもなかったけど、あとで読み返したときに自分の年輪が見えるものを、と思っていたから、やっぱり中身はあったほうがいいし、望んだものにはまだ遠い。
 
277日後の僕はずいぶん色々考え込んで、落ち込んだ。そうしてそろそろ底に足がついて、やっと上を向けるようになってきた。昔思春期の頃に似た時期を過ごした、それ以来。とはいえここまでたった1ヶ月の話だから、だいたい245日は何にも変わらないままだったけど。
 
きっかけは仕事を変えて、新しい上司に出会って、それはもう今までになく親身になってくれた人との関わりだった。上司は生き方を教えてくれた。自分について知る方法も教えてくれた。おかげで知識はあってもまるで知恵がない自分に気づいてしまって、それがショックで落ち込んだ。自分が今まで為してきたこと全て、何が原動力となっていたかもわかってちょっと泣いた。寝不足にもなったし、お先真っ暗になった。己について考えるなら自己啓発セミナーとか通った方がたぶんよっぽど楽しいだろうと思うほど、正面から殴られた。
 
たぶん、みんなが今まで無意識に、当たり前のようにやってきたことを僕はまるで何もしてこなかったのだろう。自分は子供だな、といつも思っていたのに、じゃあ自分のどこが子供なのか、わかっているようで全然わかってなかった。自分の生き方に、そういうのは全部現れてて、きっと周りの人には全部見透かされてたのだと思うと、それはもう恥ずかしくて外に出たくなくなるほどだった。
 
僕は兄のような父のような、そういう先輩ほしかったんだろう。母は無償の愛をくれたが、生き方までは教えてくれなかった。上司は毎日落ち込んでる僕に、仕事中でも話を聞いてくれたり、昼も夜もご飯をくれたり、よく目をかけてくれた。まぁ正直そんなに仕事できる上司ではなかったけど、ようやく出会いたい人に出会えたのが嬉しくて、落ち込んでても妙に嬉しいドM体質になったのが幸いだった。最後までしっかり愛情を注いでくれた。
 
金曜の夜、友達と中野で花見をして、別にどうということもなくいつも通りのくだらないやり取りをして、久しぶりによく笑った。心が満ち満ちていく感じに、あぁやっぱり俺は本当に寂しさに弱い人間なんだな、と納得した。
 
僕は常に誰かに見ていてほしくて、褒めてほしくて、でも妙にプライドが高いから、そういう自分を認めたくなかった。心からその事実を受け入れられたとき、情けない自分によく頑張ってきたな、と優しい言葉をかけてやることができたので、今はこれから先を考えている。
今日記事を書いてみたのも、自分だけにわかる意思表示がしたかったからだ。
 
出会ってたった一ヶ月、上司は3月末に退職していった。タイミングが少しでもズレていたら、僕はまた虚ろな春を迎えてたのかもしれないし、それは本当に恐ろしいことだったと、よく思う。意味がある出会いだったし、意味を持たせなきゃという気持ちもある。
 
思うままに書いたからあとで見返したら日本語が不自由になってるんだろうけど、いよいよ僕の新年度を迎えられたことに感謝、感謝。