ラジオの思い出

大好きだったラジオ番組が去年の春に終わっていたことを知った真夜中、なんだか無性に悲しくて眠れない。自分でもこんなに悲しいのがむしろ面白い。

 

広くて小さな田舎の、小さな小さなコミュニティFMの深夜番組だった。

 

聴き始めたのは中学一年か二年か、番組が始まって一年経たない頃だった。はじまりはあの街に唯一ある大学の、とある学生達が作った番組。その企画者の男が平日深夜のバラエティとして立ち上げたものだった。企画者であるメインDJ(男)とパートナーのDJ(女)が二人で進行する形式で、パートナーは番組が終了するまでに何代も交代した。

 

きっかけはよく思い出せないが、ある日中学の帰り道、ある友達とその話で盛り上がり、投稿してみようということになったのは覚えている。だからすでに何らかの形で聴き始めていたんだろう。祖母を真似て「ラジオを聴きながら寝る」のをやるため、母に小型ラジオを買ってもらい、適当に周波数を合わせたらその番組が聴こえてきた、という具合な気もするがこれは定かでない。

 

生番組でリスナーの数はそう多くないから、メッセージを送ればほぼ確実に読んでもらえた。わずか二年間と少しの中学卒業まで、毎日メッセージを投稿して熱心に録音までしていた時期もある。DJにも覚えてもらって、電話コーナーで話をしたりもした。娯楽の少ない環境のせいもあるが、公共の電波に自分が書いたメッセージが広まる感覚がたまらなく楽しくて、すぐに熱中した。

 

メッセージと言っても、家にFAXも無ければハガキを送るのは時間差がもどかしく、もっぱらEメールで、当時携帯電話を初めて持った姉貴に貸してもらってやりくりしていた。パケット定額制以前の時代だから、一日一通の約束を破ってこっそり二通投稿した日もある。そういえば録音したカセットテープはどこにいったか考えてみたが、実家が無くなるときにまとめて捨てられたかもしれない。もしあったとしても手元にデッキは無いし買うのも面倒だから、二度と再生することもないだろう。

聴き始めた頃は学校にあまりリスナー仲間がいなかったが、次第に増えて、仲良しの連中は皆投稿するようになった。中では古株のリスナーだった僕は、ちょっと優越感を抱きつつ昨日の番組の話をするのが楽しみになっていた。

 

聴かなくなったタイミングは覚えていない。理由も覚えていない。

受験期に趣味を自制するうち自然と忘れていった気もするし、他の楽しみを見つけて飽きたのかもしれない。

ただ大きくなるにつれて色々な経験や知識が増えて、メインDJの芸人気取りなMCに「気に食わねえ」と感じたことも遠ざかった理由のひとつだろう。

結局高校生になったころ気まぐれを起こしてたった一通だけ、近況報告とこれからまたたくさん投稿しますねと書いたメッセージを送ったが、その後はついに一度も聴くことなく終わってしまった。

余談だが高校生のころクラスのアイドル女子に昔○○○ってラジオネームで投稿してたでしょ!?って突然言われてキョドりをキメたことがあるがなんで知ってたんだろう。たぶん同時期のリスナーだったんだろうな。

 

サイマル放送という手段があったから、東京でもネットで聴くことは出来たはずなのに、聴いていればよかったという後悔は無い。ただずっと続いていて、今もきっとあるだろうと思っていた場所が実はとっくの昔に無くなっていたことだけがショックだった。もう帰ることの無い街にまだ残っていた、青春の面影(この表現超恥ずかしい)が消えてしまったような感じ、それだけだ。

 

メインDJの彼は、これからメディアなど表舞台で活動する予定もなく、局を引退したそうだ。きっと今頃は一般人に戻ったのだろう。

彼が復帰する可能性ってあるのかな。引退の挨拶では二度と復帰はしないとのことだが、昔から大げさな物言いをする人だったし、いつか戻ってきたりして。

気に入らない時期もありつつ、なんだかんだ思春期の大切な時間の一部を捧げられるほど面白いことをやってくれた人だから、またあの小さな表舞台に出てきてくれたら嬉しいと思う。

その時は自分のこと覚えてますか?ってメッセージを送ろう。たぶん彼なら覚えていてくれそうな気がしてしまう。彼はいつまでも田舎者のカリスマであるし、今でもちょっと憧れる存在なのだ。